恋愛はベタな方がいい。
そういった誰かの事を、私は未だに思い出す。
あ、と言う声に私は気付かず、相も変わらず携帯のディスプレイを眺めていた。
そんな私を見兼ねてか相手は私の直ぐ真隣まで歩み寄り、今度は肩口を二、三度叩かれた。
そこで初めて顔を上げた私は柄にもなく驚いた表情をしたので「城ヶ崎、変な顔。」、と第一声で吹き出された。
「何笑ってんのよ、大野。」
「や、ちょっと予想外のリアクションだったもんだから。」
「急に肩叩かれたら、誰だって驚くわよ。」
馬鹿じゃないの、と喉元まで来た言葉は一先ず留めた。
「よく分かったわね。」
「城ヶ崎、派手だからな。見たことある奴いるわ、って。」
「派手、これでも充分落ち着いてるんですけど。」
そう言って私は、クロエのパディントンを肩に掛けなおした。
朝のラッシュが程よく過ぎ去ったスクランブル交差点で、声をかけて来たのは地元の幼なじみ、ダークグレーのスーツにペールグリーンのネクタイを合わせた妙に小綺麗なサラリーマンだ。
良く磨かれたキャメルの革靴が眩しい。
出会い頭に上から下まで無遠慮な視線を向けた私は、相手が知人とはいえあまり印象がいいものではなかった筈だ。
「何してんのよ、こんなとこで。」
私は、男の顔をろくに見ることなく尋ねた。
「朝イチ商談。」
「あ、そ。」
興味の欠片も感じ取れない私の応酬に、隣からは呆れたように息を吐く気配がする。
「城ヶ崎こそ、今頃出社?」
男は人見知りする性格にも関わらず、旧知の間柄と分かれば積極的に会話を投げ掛けて来る、ただの内弁慶だ。
「私、九時半までの出社なの。」
気が付けば信号が青に変わり肩を並べて歩いている。
「さっきから、」
再び隣が口を開く。
「携帯、真剣に眺めて何してんの?」
「為替レート。」
げ、と聞こえて来そうだった。
この男は朝から株価やレートを確認したり、資産運用したりする女に興味がないということを私は良く知っている。
「そういえば、大野。」
やっと、さくらさんとくっ付いたんだって?
「何、突然。」
「聞いたわよ。」
「穂波?」
「そんなことどっちでもいいじゃない。良かったわね、いつまでぐずぐずしてんのかしらって言ってたとこなのよ。」
「誰と?」
「それも言わない。」
「お前、面倒くせえな。」
若干むっ、とした事は胸の内に仕舞い込んだ。
「昔からずっと好きだったんだ、って言ったの?」
「言うわけねえだろ。」
「そんな事あんたが言える訳ないわよね。」
「うるせえ。」
その時、向かい風に吹かれて私は思わず目を伏せて彼はわ、と間の抜けた様な声を上げていた。
そして、互いに吹き上げられた前髪を無言で整えた。
すれ違う群衆の眼差しは、隣の男へと向かっていることに気付く、彼の放つ引力に道行く視線が集まって行く。
不思議と昔からそうなのだ、彼も彼女も。
私には持ちえない何かを、そのどちらも持っているのだ。
「何か本当に、あなた達。月9のドラマみたいね。」
ひと昔前の。
「ベタなのが一番いいよ。」
そういう意味じゃないわよ、と言い掛けて私は諦めた。
確かに、そうなのかもしれない。
出会って互いに恋に落ちて、納まる所へ納まる。
彼が言う“ベタ”な恋愛に、酷く焦がれている心情が明るみになる前に。
「じゃ、私ここだから。」
「またな。」
背を向けた彼の背中が遠ざかるのを待ってから、もう一度振り返りこっそりそれを盗み見たのだった。
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