過去を巡る、抱きしめる。
あなたと交わしたサヨナラもkissも、ちゃんとはっきり思い出せる。
真夏みたいにじりつく陽射しだが、季節はまだ梅雨。
そんな陽射しはコンクリートへたっぷりと熱を孕ませ、陽が落ちてからもなお辺りに温い風となって漂った。
高温多湿なこの島国は、つくづく居住には不向きだ。
そんな事を巡らせながら、もうここに生を受けて27年、それなりにと暮らしている。
最寄り駅から住居マンション迄は徒歩8分、そこそこいい距離だ。
先程買ったビールの入った袋は、すっかり汗ばんでいる。
帰宅時に缶ビールとその晩の肴を調達して帰る、そんな自分も嫌いではないと山田かよこは思っていた。
社会に出て驚いたのはビールを選択する自分、学生の頃チューハイや甘いカクテルを所望していたことが俄(にわ)かに信じがたい。
そして、今はそのプルタブを引く瞬間に堪らなく快感を覚えたりした。
そんなふうに歳を重ねていく事に特別な抵抗感もなく、寧ろ父や母、年上の恋人との埋められない時差へ歩み寄れた様な錯覚さえしていた。
かよこの恋人は会社の先輩、仕事は出来るが掴み所がないと専らの評判だ。
それに関しては、かよこも頷ける。
マイペースというか、自分の時間軸へ他者を引きずり込む強い引力を持っているのだ。
それに巻き込まれた者は皆そんな彼から目が離せなくなり、気付けば落ちている。
何をするにも後手に回るかよこが、常に振り回されるのも仕方がない。
付き合い始めて、もう間もなく1年が見えてきた。
時折先輩は家庭を築いたりするのか、なんてふとぼんやり巡らせてみる。
安易に想像出来ないのは、彼の人柄が前述の様な状態だから。
そしてそれと同じくらい、かよこが過去にしてきた数少ない恋愛が走馬灯の様に駆け巡った。
それもはっきりと、断片ではなく。
まだ社会に出て間もない頃、今より少しだけお金もなくてだけど時間の融通は利くもんだから、気がつけばいつだって一緒にいれたあの頃。
相手に対して特に不満があった訳でもない、だがもつれてしまった関係。
そんな風に終(しま)いを迎える度、涙はとめどなく溢れるということを知るのにまた恋に落ちるのだ。
滑稽だ、そしてさらに手繰り寄せた初恋の記憶。
クラスで一番のがき大将、子供ながらにその背中の逞しさに強く惹かれていた。
その初恋は実らずとも、かよこの中でいつだって甘く燻った。
そして今、そんな事を考えてしまうのはきっと先輩から「俺が死んだら海に撒いてくれ」、なんて分かりづらいプロポーズを受けたりしたからなのか。
本当に滑稽だ。
ただ、そこで関白宣言を唄ったりしない辺り彼らしいのかもしれない。
足元がふわふわするのは、アルコールのせいではない。
少しだけ、自分が酷く大人になってしまった様に感じているのは悲観ではない。
過去に馳せているのはきっと、マリッジブルーてやつだ。
熱を吸い込んだアスファルトをヒールが小気味よく蹴る、背中に一筋汗がつたう。
等間隔の街頭を三つ追い越せばもう自宅、顔を掠める髪をかよこは耳にかけた。
抱きしめる様にkissする様に胸の奥にそっとしまい込んで、もしもいつか女の子が生まれて目線が並ぶ様になる時がくれば古い過去の栄光として話そう。
そう思うとやっぱり、センチメンタルな波が押し寄せて瞼の奥が熱くなったのだ。
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