いつか、いつの日か叶えばと強く願った。
ヴァージンロードの彼方、そんな事は夢のまた夢。
代官山のジュエリーショップ、店内は婚前のカップルがひしめきあっている。
平日夜に、これだけ盛況なのは何も麗(うらら)かな春の陽気だけでは無いはずだ。
そんな店先で一瞬足を止めた自分が一番どうかしている、そう言い聞かせてそこを後にした。
その日、山田かよこはすこぶる機嫌が悪かった。
ガラス窓が白く霞むくらいに、日射しは燦々としていたにも関わらず、彼女の表情はむくれっ面だった。
会社で一服する際にすれ違った彼女を捕まえて、不機嫌の意味を問えば「機嫌が悪いんじゃない、機嫌斜めなの!」なんて減らず口を叩かれた時は本当にどうしようかと思った。
機嫌斜めと悪いはイコールじゃないのか?
挙句、不信に思われたらかなわないから離して。
山田かよこは、そう言った。
そこまで言われてしまえばさすがにお手上げ、舌打ちに近い溜息を大袈裟に吐いて彼女の腕を離した。
ちょっと昔だったら面倒くさいと即、手放した恋でも今はぎりぎりで踏張ってみようと思う、随分と大人になったものだ。
少しばかり昔ならば、そもそも彼女に興味が湧いたかすら定かではない。
会社の後輩でどこにでもいるごく普通のOL、強いていうならしぶといくらいに片想いしていた事と、妙にちんちくりんな所が他とは若干違っているくらいだ。
山田の初恋の“杉山くん”は、どうやらスポーツマン風のサラリーマンらしく、以前2人で昼飯に行った時すれ違った爽やかなスーツ姿を目で追っていた。
そして今、彼女はやっぱり不機嫌だった。
山田、と呼び掛けても気のない返事を寄越すだけ。
晴れ渡った休日に笑ってないのは、こいつと交番に常駐する公務員くらいなものだ。
「おい、かよこ。」
「かよこって呼ばないでよ。」
振り向いた彼女はやっぱりむくれて、瞼の上で揺れた前髪を手櫛で整えながら深い息を吐く。
「呼ばないで、って。自分の彼女を名前で呼ぶ事の何が駄目なわけ?」
ねえ、かよこ、と再度口にすれば言葉に詰まったらしく威勢よく睨んでいる。
「先輩は。」
「何よ。」
「先輩はまだ、私が杉山くんを好きだって思ってるんですか?」
予想にしていない問いかけが一瞬思考を止め、ああ、思い当たる節が過る。
「何、聞いたの?」
「聞きましたけど?先輩と同期のお姉さんに言われました。」
「本当、お局さまはお喋りだよな。」
「それ、チクりますから。」
そう、あれは三日前。
久しぶりに大きな仕事を終えて思う存分酒が飲めた晩、珍しく酔っていたんだ。
連れ立って行った同期達に少しばかりの愚痴と不安を零した、記憶はある。
彼らに彼女の話を振られた時、確かにそんな類の話をした。
彼女には、まだ想う奴がいる。
「どうしてそんな事、決め付けてるんですか。」
「何となく、見てて思ったから。」
「杉山くんをまだ好きって?」
「そう。」
そこまで言ってから山田は眉を下げて黙りこくる、ううん、と唸りながら思案顔をしながら。
「どうすれば、先輩に伝わるんですか。」
突飛な問いかけに年甲斐もなく心臓が跳ねる。
黒目がちな視線が堪らなく痛い。
「私、今は杉山くんのことそんな風に想ってないですよ。」
確かに、と続ける口元をぼんやりと眺めた。
「そりゃあ杉山くんに子供が出来たって知った時は、ほんのりショックだったけど。それって大体皆あるじゃないですか、昔の思い出が懐かしいみたいな。」
それは少し違う気がしたが、あまりに彼女が真摯なものだからそこに触れる事はしない。
本音を言うと、彼女の気持ちなんて大方分かっていた。
扇状に縁取られた睫毛を伏せ、唇を結ぶ彼女を見れば一目瞭然。
「私は、先輩が好きなんですよ。」
分かんないですか、と可愛げも無くはき捨てる。
「俺の方が好きだよ。」
みるみる内に顔を染め、それは悔しそうにこちらを睨む。
でも事実、そうなのだから仕方がない。
そして、そんな彼女の指に自分の指を絡めて、たっぷり握り締めたら言う言葉なんかただ1つ。
「ずっと、一緒にいよう。」
昼下がりのティファニーのショーウィンドウの前。
結果、喜でも哀でも涙を滲ませる彼女を抱き締めたい衝動を、ただじっと堪えていた。
0コメント