ちょうど2時間前。
それは、きみへの想いを吐き出す頃。
「よう。」
そう声を掛けられたとき、僕は反射的に振り返れなかった。
瞬時にそれが誰なのか、声と顔の合致がいかず暫く立ち止まり、そしてようやく 「平岡くん?」 と、そう返事をした。
振り返った先には、ひょろりとした上背の同級生。
スモークグレイのショートピーコートがやけにこなれた印象の彼は、幼馴染だ。
「たかし、久しぶりだな。いつぶりだ?去年の新年会以来か?」
それは、地元同級生達で催された飲み会の時以来ということだ。
確かに、平岡くんとはあれ以来になるだろうか。
「元気?お店の方は順調?」
「相変わらずマイペースにやってるよ。年末にタウン誌に載せてもらってから、ちょっとだけ忙しないけど。」
彼が労ってくれた僕のお店は、代官山にある。
手狭な坪数の本当に小さなお店だが、専門を卒業後就職した先のオーナーから譲り受けたそこを、僕は秘密基地の様に思っていた。
「あれだよな、ドッグカフェだっけ。先週うちの会社の女の子も行ったって言ってたよ。平岡さんのお友達かっこいいですね・だってさ。」
俺の方が男前なのにさ、なんて平岡くんは相変わらずだった。
「え、うちの店に?」
どの人だろう。
「その人、どんな犬種?」
「なにそれ。たかし、連れてる犬でお客さん覚えてるの?」
「人の顔と名前覚えるより、よっぽど楽だよ。」
さすがたかしだな、と今日の平岡くんはやたらと僕を褒めちぎる。
「俺、たかしのことは本当に好きなんだ。あ、ちっとも変な意味じゃないから。」
安心して、と平岡くんは笑った。
際どさ漂うその言葉に、僕は半ばぎくりとした。
「どうしたの、平岡くん。今日そんなに褒めてくれても何も出ないから。」
「そうだね、この会話だけ聞かれると完全にそういう関係みたいだよね、俺ら。だけど本当、昔からいいやつだなたかしは。」
平岡くんは目を細め、どこか懐かしそうにそんな事を言う。
昔からどこか大人びて見えた彼を、僕は頼もしく感じていた。
それは大野くんや杉山くんとは全く違った、静かなペイルブルーの様なそんなイメージ。
二人がマジックアワーの黄金色の夕闇だとしたら、だ。
「だから俺、本当はあのままたかしとさくらには付き合ってて欲しかった。」
大野なんかよりも。
「やっぱり皆知ってるんだね。人の気持ちばっかりはね、どうしようもないから。」
「そんなにあっさり、簡単に引けちゃうんだ。」
「違うよ、大野くんが僕よりずっとさくらを思ってたってことさ。」
人の気持ちを動かすのは、いつだって人なんだ。
「お前のそういう根性座ってるとこ、本当かっこいいと思う。」
「どこが?」
「なんか。ぶれないっていうか、達観してるっていうか。同じ年の男と思えないくらい、先の先まで見えてるんじゃないかって思う。」
「それは平岡くんの事だよ。」
「いやいや、俺なんてね。嫉妬深いし、執念深いし。女々しい奴なんだ、本当に。さくらのことだって未だにしつこく想ってるからね。ていうか、」
たかしも俺の気持ち、気付いてたろ?
そう平岡くんがさくらにどうしようもないくらい惹かれていたこと、僕はずっと知っていた。
知っていたにも関わらず、彼女の隣を選んだ、奪い取りに行った。
あの居心地の良い場所を、どうしても手に入れたくて。
「僕は、平岡くんに褒めてもらえる男じゃないんだ。」
「何言ってんの。なりふり構わず、気持ちから動けるから、俺はたかしが好きなんだよ。」
俺には無いものを沢山持ってる、たかしとさくらが。
「それに自分に似た奴とはどうも相性悪いんだよね、俺。だから、案外大野はちっとも合わない。」
平岡くんの言葉はどこまでもシンプルで、端的明快だった。
そんな彼と「今度合コンしよう。」なんて言いながらそこで別れた。
僕は1人、歩道橋を上がり家路につく。
片側4車線、人波と車の波はまさに最高潮を迎えている。
さくらと付き合っていた1年あまり。
僕には目がくらんでしまうほどまぶしくて、見失ってしまう前に彼女の手を離した。
海辺を駆け抜ける潮風に吹かれながら歌ったあの曲も、やたらと彼女に懐いていた僕の犬も。
脳裏を過ぎるたび、止めどなく溢れかえるこの気持ちも。
全てはこの黄金色とペイルブルーの夕焼けのせい、マジックアワーのせいなのだ。
彼女が僕の元を去ってから蓋をしていた気持ちが後から後から流れこんで、顔を上げられずにいる僕は、暫く歩道橋の上から動けずにいた。
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