わたしたち、みんな。
螺旋の上に生かされて、愛されて。
風がどこからともなく流れ込む。
ほんの少しの湿気と潮の匂いを織り込んだ、風。
軒先に吊るした石灰石のモビールが互いに擦り合い、転がるように響いた。
私はというと葺きたての畳に頬を寄せて、その様をぼんやりと眺めている。
連日引かない倦怠感にもそろそろ慣れてきたのか、横になっていれば色々思考が巡ようになっていた。
彼が旅行に出ようと提案してきたのは、丁度彼が長期の出張から帰った晩。
玄関先で出迎えるや否や、投げかけられた提案と彼らしくない性急さに半ば驚いた。
旅行会社に勤める彼からこんな風に言われたことも、急かされたこともない(そういうことはいつだって私から)私はにわかに戸惑って、彼の目を覗き込んでその真意を探ろうと一生懸命になったのだ。
結局その胸の内を読み取ることが出来ないまま、その週末にはボーディングチケットを握り締め、羽田に向かい私達は今、東京から遥か離れた小島での暮らしに早くも馴染み始めていた。
シャリンバイの茂みに投げ出されたプラスチックのシャベルは、そのピンク色が分らないくらい泥に塗れているのに気付き、昨日の夕方この民宿の孫娘がその辺りを掘り返して遊んでいたことを思い出した。
大輪の八重咲きのハイビスカスには、針の先程の蟻達が無数の群れを成し、そこを求め登り降りを繰り返している。
今、目の前にぽつりといるこの子はあの群れの子なのだろうか。
はぐれてしまったのか、はたまた自らの意思でこの畳の上を彷徨っているのか、
それはどうしたって、私が知る由もない現実。
客間に置かれたラジカセからは、地方局のラジオ番組、勿論ディスクジョッキーは方言を話す。
そして流行のJ-popに島唄を織り交ぜて、さも当然のように番組を流してる。
浜風の加減で電波にも強弱が付き、時折はっきりと聞き取れないその唄は三味線にのせてどうしてもの悲しく聴こえた。
珊瑚を重ねた塀の隙間から浜が見える。
白波のたつ白砂の上に、彼のものであろう足跡が点々と続いている。
浜に下りようと誘ってくれた彼に、私は具合が悪いからとここで休むことにして、そして彼を見送った。
せっかく来たのだから遠慮せずに、彼は彼のペースで過して欲しかった。
都会の喧騒、コンクリートジャングル、紫のスモッグに囲まれて日々力強く生きている彼だからこそ、今ここで思うままに深く息をして、時間を過して欲しいのだ。
彼の優しい気遣いと眼差しにくるまれている私よりも、だ。
そして、私は彼との日々を思い出してみる。
色んなことが当たり前になり、日常になり、当然になり、必然になり、積み重なり、そして空気になる。
彼が未だに私を「さくら。」と呼ぶことも、私が未だに彼を「大野君。」と呼ぶことも全てが空気のように当然でかけがえのないものになる。
彼が出張に出かける前の晩、私は私自身の変化を告白した。
もう既に、胎動さえ感じ始めていた。
彼は心底驚き、そしてそのすぐ後で今まで見たことのない位甘く柔らかく微笑み、私にキスをした。
彼は私を抱き締め、頭1つ分違う彼が背中を丸めて力を込めるたび、それを見上げた私の頬にはこんこんと降り注ぐ室内灯の灯りと、プリズムに揺れる彼の涙が降ったのだ。
あの日の熱さ、匂い、一挙一動が今も鮮明に浮かぶ度、さらに力強く腹部に芽生えた命が私を蹴るのだ。
白い陽射しに、相変わらずの浜風。
潮の満ち干きに胸が熱くなる。
それだけであんなに体調の優れなかった日々が、薄ら和らいでいく。
彼がなぜここに私を連れてきたのか、ようやく今わかった様な気がした。
あの日頬に降った涙の熱さを、いつか後世のきみに伝えられないだろうか。
それが、きみへの愛の重さなのだと。
彼がこちらへ戻ってくる気配を感じながら、私はそんなことを考えていた。
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