見栄っぱりで意地っぱり。
いつからか、こんなにもあなたばかり。
これはどこかで見た光景、恐らくテレビドラマのワンシーンか何か。
ちょっと敷居の高い料亭の一室、杉のテーブルの年輪をもう三度数えている。
正座したつま先から冷えて行くのを左右交互にずらしながら、ごまかしていた。
「山田さん、足楽にしてね。」
目の前の淑女に微笑み掛けられ思わず背筋を伸ばした。
「大丈夫です。」
勢いで神の一声を断ったことを心底後悔した、私は馬鹿だ。
「こんな日まで仕事の電話。今時期忙しいものなの?」
恐らく、淑女は私へ問い掛けている。
「先輩は、いつもなんです。今担当してる雑誌と、新しく創刊予定のものと同時に進めてるらしくて。」
「そう。山田さんも寂しいわよね。」
「いえ!仕事なので。」
寂しいなんて、と濁してぷっつりと会話はそこで切れてしまった。
「そう、彼もそう言って踏ん張ってくれる方だときっと安心して仕事に打ち込めるのね。」
そう淑女は、やはり優しく微笑んだ。
品の良いショートヘアにパールのイヤリングが溌剌と映る、目の前の彼女は先輩の母親だ。
小柄で線の細い、だけど女性のか弱さをいい意味で感じさせない人。
つい五分前に先輩の携帯が鳴り(恐らく相手は部長)、彼がこの部屋に私達を残した事で現在の状況に至っている。
さあどうしたものか、私の内心は今一人で右往左往している。
初対面での応酬が元来得意ではない私が、目上でさらには恋人の母親となれば逃げ出したくもなるわけで。
爪先や指先の体温はみるみる下がり(爪先は正座のせい)、妙に汗ばんできたりする。
それに先輩の母親という女性(ひと)は、そんな私さえも見透かした様に終始優しく微笑みかけて来るではないか。
「山田さん。」
そう、口火を切ったのは彼女だった。
私は情けない事に、相変わらず上擦った返事で彼女を見た。
「あの子あまり優しくないでしょう?私の知る限りなんだけどあの子昔から皆に厳しくて、加減知らずっていうか。結構昔は女の子から泣いて電話掛かって来たりしてたの。」
私がぼんやりしている内に先輩のいびつな過去がいともあっさり明るみになる、それも全く許容範囲内で。
「先輩は優しい方です。仕事も出来ますし、容姿端麗といいますか。女性社員からも実は凄く人気も高くて。本当に何で私なんだか。」
突いて出た言葉の曖昧さが私の緊張を物語っていた。
全くどうして、支離滅裂だった。
「本当に、それなら良かった。一人息子で比較的私は甘やかして来た所もあって、それが彼のマイナスになってやしないか正直ふと、不安になったりしてたの。」
唯我独尊気味である、とは到底言えなかったが、そう変わらず微笑む彼女にやけに胸が切なくなった。
これが母親、それも男の子の母親というものなのかも知れない。
そうこうしている内に先輩が戻って、真昼間から三人で懐石料理を囲み(金目鯛をつつきながらもっと魚を綺麗に食べられる私なら、と心底後悔した)私達は彼女を表参道で見送った。
しゃんと伸びた小さな背中が地下へと見えなくなるのを先輩はいつまでも眺め、その横顔を私は盗み見ていた。
「疲れた?」
「今年一年分の緊張が、今日でした。」
「お前、そんなだから仕事遅いんだよ。」
「本当だ、優しくない。」
何が、と減らず口を叩く隣の人に私はこの事だと頷いた。
「先輩のお母さん、綺麗な人で驚きました。」
「今年で五十だったかな。」
「え、若い。」
「血は繋がってないけど。」
舗道の雑踏が止んだ様に、彼の声がつんと響いた。
「両親共に繋がってないんだ、うち。元々母さんの姉の子なんだけど、引き取って貰った。」
戸籍上血の繋がりはゼロでは無いな、と付け足した。
「生んでくれたお母さんに、会った事は?」
「無いよ。お互いが死ぬ前に一回位は会っておきたいけど、敢えて会わせてくれって言ったことは無い。」
木枯らしに雑踏を絡めた風が私達の横を吹き抜けた。
「お母さんに、気を遣って?」
「幸福(しあわせ)過ぎて忘れてた。」
「先輩らしい。」
「これも母親譲り。」
先程の懐石料理の金目鯛、先輩とお母さんの驚く程綺麗に取り分けられた身と骨を思い出した。
きっと若い母親は、初めての子育てに試行錯誤しながら箸の持ち方を学ばせたに違いない。
大切な我が子が、どこへ行っても胸を張れるように。
木枯らしの吹きやんだすぐ後で、先輩の指先に触れてみた、そして。
強く強く、握り返してくれた冷えたそれが、この世の何よりも尊く愛おしく思えて、私は先輩に見つからない様に空いた左手で目尻をそっと拭ったのだった。
0コメント