その日が過ぎる。
光速で瞬きほどのその日が過ぎる。
いまさらながら、妻という女性を考える。
彼女が何を思い何を見ているのか、知るすべがあるのなら彼女をもっと理解できたのに。
朝を迎えるたびにベランダの葱が元気を失っている、気がする。
我が家のベランダには家庭菜園の出来損ないみたいな空間が存在している。
白い定番のプランターには蔓を巻く力もないプチトマト、辛うじて耐えているであろうバジル、そして先ほどからやはり目に見えて元気をなくしている葱が今日も中途半端に朝日を浴びてそこにある。
それらを細々と始めたのは妻、そして今水をやり雑草を抜くのが私の日課になりつつあった。
街中でも閑静な場所にある我が家に二人で住み始めた頃、妻はアトリエと称して六畳の部屋をこしらえた。
そこに一日かけて色を塗り自分好みに仕上げ、私が仕事に出た昼間はそこに籠もり日がな1日絵を描いていた。
足が棒になるほどくたびれて帰ると油絵の具の匂いに包まれた妻がいつだって出迎えてくれて、それだけでとんでもなく安心したのを覚えている。
それから二回春が過ぎ夏も二回過ぎようとした頃、家族が増えた。
妻によく似たその男の子を私は心底愛して妻も溢れるほどの愛情を注ぎ、やがて彼は我が家を出た。
そして彼は時折我が家に帰って来て妻を喜ばせ、いつしかその内に愛する誰かを迎え入れ一家の主になった。
こうしてまたこの家には妻と私の二人だけの静寂が訪れた。
妻と私はいつだって寄り添う。
それはそれは幼かったはるか何十年も前から、ぴったりと寄り添い離れずそしていつか二人、空に召されていく。
妻は言う。
星になるなら自分はベガにあなたはアルタイルに、と。
天の川に阻まれて一年に一度しか会えなくなるというのに、一年一度なら例えば倦怠期が来たとしても仲良くいられる。と、笑う彼女はやはり幼いあの日のままだった。
目が覚めると辺りは相変わらず白い朝日が満ちていた。
妻と共に寝起きしたこの家に、彼女がいなくなって一年が経つ。
彼女が残した愛する彼と、その彼の子供達。
そして出来損ないの家庭菜園、私はやっぱりそれに水をやる。
彼女が遺したもの。
数えきれないほどの記憶と時間、溢れて止まない愛だったり、そしてそれが私と妻の歴史。
妻と離れた年に買った望遠鏡。
きっと彼女はベガになったに違いない、その日の終わりに望遠鏡を覗くたび、私は思った。
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