愛が巡る、それは輪廻を超えていく。
井草の薫りの思い出は、いつもぼんやりと立ち込める。
二人の娘を授かって気が付けば、早数十年。
上の娘は同じ様に二人の子を授かり現在育児の真っ最中、時折家族揃って我が家に顔を見せに帰ってくる。
まだ幼いその子供達は、まさに目に入れても痛くはない存在。
一時は目元のシワや体力の衰え、水滴を吸い込む腕に嫌気も差していたがこうして人は年老いて行くのだと、それもまた悪くはないなと思えるから不思議だ。
あれは去年の暮れのこと。
東京で就職した末の娘が、男性を連れ立って帰省した。
相手は私もよく見知った人で(なぜなら彼は娘の同窓生)、当時の面影が僅かに伺えるとても素敵な男性だった。
スポーツも勉強も大変よく出来た彼は当時、保護者の間でも話題になる程。
肝心な娘といえば実家に居る間は漫画とドリフさえあれば幾らでも生きて行ける!と、豪語していたし(実際そうだ)、好きな人いないの?なんて愚問に等しかった。
その娘がツィードのジャケットなんて羽織って隣にはイケメンを従えて、二人とも都会に揉まれて少し逞しくも見える。
汚い家でごめんねえ、とすっかり寛ぐ娘の隣で彼はすっかり萎縮してしまっていた。
小柄な娘は我が家の狭い食卓に両足を投げ出してもあの頃のまま、彼はその倍上背があるにも関わらず足も崩さずアワェイな状況に助け船も出さない娘に、少しだけ白々とした視線を送っていたりした。
私は客間に布団を用意しながら、奥の八畳間で二人を見つけた。
古い井草と線香の匂いに紛れて、小さな仏壇に両手を合わせるその姿がどこか知らない娘を見ている気分だった。
「まるこ、先方のお母様に迷惑掛けるんじゃないよ。」
あれから半年が過ぎて、娘は僅かに大きなお腹で「平気だよ。」と唇を尖らせた。
「平気とかいう問題じゃないの、あんたは落ち着きないんだから。身重でちょろちょろして大野くんのお母さんに迷惑掛けるんじゃないか私は心配だよ。」
「だから、大丈夫だってば。向こうも是非一緒にって言ってくれてるんだからさあ。」
初めて娘が彼を連れて来た、あの日。
お父さんは汗だくで彼は眉間に皺なんて寄せて、何とも言えない空気が我が家に立ち込めていた。
そんな空気で彼が今から言わんとすることを彼の緊張と共に感じてはいたが、娘はいともあっさり「結婚するんだ。」と告げた。
更に実は、新しい命を宿したことも。
あの時のお父さん今にも失神寸前、彼はあまりにあっさり本題を突かれ、呆気に取られていた。
私が彼女の歳の頃、結婚前の妊娠がまだまだ理解を得られ難かった事が、こうして三つ指を突いて頭を下げた彼を見ていてそれもそれで有りだな、とぼんやりと考えた。
どうあれ所詮、彼女が幸せになってくれさえすれば私はそれで全て良しなのだ。
娘は今、目立って来たお腹を気前よく叩きながら丸い笑顔を見せる。
「大野くんちのご飯超美味しいんだよねえ。」
なんて宣(のたま)うから、つくづく暢気なものだ。
そんな事ばかり言っているだらしのない怠け者だとばかり思っていた彼女が、私と同じ母になる。
表からエンジン音、どうやら彼が迎えに来た様だ。
「それじゃお母さん、行ってきます。」
そう振る左手の薬指のティファニー、今更の様に眩しくて私は少しだけ目頭が熱くなる。
「行ってらっしゃい、まるこ。」
可愛いまるこ、愛しいまるこ、私のまるこ。
どうか沢山の愛が貴方に降りますように。
どうか貴方の髪が真っ白になるその日まで、彼が貴方を愛し守り続けてくれますように。
私の母がそうであった様に私が貴方にそうである様に、私の祈りは幾度夜が明けても尽きない、娘もきっとそうなるのだろう。
これが人類の愛の仕組みなのね、なんて勝手に哲学に仕立てて私は年老いていく喜びを噛み締めたのだ。
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