だから、ぼくら。
愛を紡いでくんだ。
油の匂い、乾いた筆先、殴り書きのピカソ。
何もかもがいとおしいあの日のきみを、誰よりも慈しむきみがいた。
小さい頃一度だけ、母のアトリエを覗いたことがある。
絵具とインクの匂い、床一面敷き詰められた紙、壁いっぱいのピカソ。
奇抜で大胆で、苦くて優しくて、たった八畳分のそこには、母が溢れていた。
そのアトリエで、父は母に柔らかなキスをした。
まるで、絵本で見た神様の福音の様だった。
僕が生まれた朝、庭に大輪のひまわりが咲いた。
母は分娩室に入って五分後に僕を産み落とし、慌てふためいた父は産婆さんに邪魔者にされていた。
父の親友の杉山さんは、「トイレ並みのスピードで生まれた奴」と言っては僕をからかった(この年になった今も言われている。)。
母の親友のたまえさんは、母よりも先に僕のオムツを替えてくれた人。
僕が生まれてからも仕事の忙しい母に代わって、毎日ご飯を作りに来てくれた。
母ときたらずぼらでいい加減で、掃除ベタのおっちょこちょいだから、たまえさんがいてくれたおかげで我が家は安泰だった。
ああ、あんな人がお嫁に来てくれたらいいのに。
「たまちゃんはダメよ、人妻なんだから。」
それに私の親友なんだから、と母は僕に釘をさす。
「なにそれ。」
「あんた、たまちゃん寝取ったりしないでよね!大野くんにチクるわよ。」
「しねーよ!」
それが母親のセリフか?なんだよ“大野くん”って。
いつまでカップル気分でいるつもりだ。
万が一そんなことがあったら、きっと僕は杉山さんと父にメッタ打ちにされるだろう。
こんな飄々(ひょうひょう)としている母と、普通のサラリーマンの父がなぜ解り合えるのか、息子の僕にもわからない。
母はよく『ピカソの指』の話をしてくれた。
独創的で抽象的な画家、ピカソの様に描ける指を手に入れられたら幸せになれるという話だ。
僕は母に聞いたことがある。
「ピカソの指が欲しいの?」、と。
「いらないよ、そんなの。だってピカソの指なんか無くても私、幸せなんだもん。」
母ははっきりと告げると、けたけたと笑った。
「私、だってあんたがいて大野くんがいれば何もいらないもん。」
そして着古したサロペットで僕を抱き締め、絵具にまみれた指先で僕の頭を撫でた。
母はピカソの指よりも何よりも、父がいて僕がいるこの毎日が欲しかったとつぶやいた。
母が初めて僕に教えてくれた気持ち。
明るくてあったかくて、幸せな気持ち。
羨ましいなんて、思ってしまった僕はやっぱり父の子だ。
「ちょっと、荷造り済んだの?」
「とっくに終わってる。」
空っぽの部屋にはキズだらけの学習机と、すっかりへたれたベットだけが残った。
「あんたが家出たら、大野くんと私の二人きりになっちゃう。」
「ラッキー、とかって思ってるくせに。」
ばれた?といたずらっ子のように笑う母は、いつまでも幸せ者だ。
「春からは美大生。その才能、生かすも殺すもあんた次第なんだから。しっかりやんなさいよ。」
母は僕の背中を叩いた。
激励にしては痛すぎるけど、そうやって母はいつだって僕を後押しする。
油の匂い、乾いた筆先、殴り書きのピカソ。
僕が明日、家を出てもあの八畳のアトリエで父は母にキスをする。
それは母が見つけた、ピカソの指なんかよりももっと幸せになれる方法。
僕にもいつか、見つけられるだろうか?
僕は今でも、ピカソの指を思い出す。
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