いつか失ったとしても、あんなに好きになった。
「さくら。」
そう呼ばれて振り返る。
「なに、大野くん。」
その拍子、読みかけのジャンプは閉じられ、最早どこまで手を付けたかわからない。
「なあ。」
と、もう一度彼は私を呼ぶ。
無駄の無い七畳間、子供部屋と呼ぶには殺風景な彼の部屋。
壁に掛けられた学生服の几帳面さは、恐らく大野くん自身だろうと思う。
机の上に置かれた開きぱなっしの数B、確か来週の月曜日までの課題。
私のそれは白紙のまま、むしろ鞄から出してもいない(果たして持って帰ってきているのか)。
「どうしたの?」
「夢みたい。」
「何が。」
「俺んちに、さくらがいる。」
現実主義で糖分ゼロ、そんな大野くんが夢みたいと言うことが私からすると夢のようだ。
「びっくり。」
「何が。」
「だって、大野くんがそんなこと言うから。」
「うん、何か今しみじみそう思って。」
そんなことをぽつりぽつりと話す彼と付き合い始めたのはほんのふた月前、私から告白したひいき目抜きで人気者の大野くん。
幼なじみの中でも一等長けた彼が、まさか私の告白を受け止めてくれるとは。
周りは七不思議だと騒ぐけど、そんなことは私が一番よく分かっている。
「さくら。」
そう彼は、再び名前を呼ぶ。
「なああれやってよ、加藤茶。」
「しないよ!」
どこの世界にこの空気で、物真似をする度胸が湧くのか。
そう言うと大野くんはけらけら笑い出す、何もそんなに可笑しい事は無い。
「なにさ。」
「さくら、好きだなと思って。」
「大野くん、私のこと好きなの?」
彼は目を丸くして、頭を抱えたような振りをした。
「うん。告白されたときは何か成り行き、って感じだったんだけどさ。今はこんなに好き。」
と、私の頭は傾(かし)いで大野くんの腕の中。
今までで一番彼に近付いたら、我が家とは違う優しい柔軟剤の匂いと私より高めの体温がそこにあった。
「そっか、大野くん私を好きなのか。」
「うん、物好きだな・と思うわ。」
「ちょっと。」
それはほんの他愛も無い戯れ事、古典文学的に言うならば蜜言と言うのだろうか。
ささやかで密やかな初恋に、私は胸が苦しくなる。
「さくら。」
ほら、彼のそう呼ぶ声だけで満たされていく。
「キスしよか。」
問い掛けと行動はほぼ同時、渇いた熱いくちびるの触れた(正しくは掠めた・かもしれない)刹那を私は生涯忘れないだろう。
大野くんによって切り取られた私の世界、いつか大人になってひょっとすれば、隣にいるのは彼ではないかもしれない。
17の私達にはどうしようもないことばかり、だけどこんなに好き・という彼がいる現実だけで充分幸せ。
ふたりがふたり、こうして恋に落ちたこと。
はかなくて切ない、ボーイ・ミーツ・ガール。
彼の甘い言葉達を反芻させながら、この柔らかな関係がこの先も続くように、と。
きっと、私達は同じことを祈ったに違いない。
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