はた、と視線がぶつかることにけんいちは違和感を覚えていた。
ぱちり、ぱちりと合う視線が何だか不躾に思える位にけんいちを射ぬく。
合っては反らす、合っては反らす。
それが何の意味を持ってのことなのか、いくらも検討がつかない。
大野けんいちは温い陽気に包まれた地学室の最後尾で十分置きに欠伸を噛み殺している。
何億光年と地球を巡る恒星や惑星の所在など、どちらでも良かった。
そんな状況下にあるのはけんいちだけではないようで、彼の斜め向かいでうつらうつらと揺れるセーラー服が、時折目一杯勢いをつけて傾く。
そんな姿、教師が今黒板を向いていなければ確実に見られて立たされるか顔を洗いにいかされただろう(しかしこの教師は前者だ)。
傾いた勢いでシャープペンシルが机の上から追い出され、それは小気味よく響き床へと転がったのだ。
その音に肩が反応する、数名の生徒は彼女を振り返り呆れた様に笑っている。
そこでようやく目が覚めたのか、彼女はひっそりと伸びをして黒板を見ている。
シャープペンシルが旅立ったことには気付いていない。
けんいちの机のすぐ傍で転がっているピンクのシャープペンシル、リボンをあつらえた白い猫のイラストは擦(かす)れている。
すぐにそれに気付かない辺り、彼女はまだノートを取る気がさらさらないらしい。
けんいちは立ち上がりそれを拾うと、彼女に近付く。
「おい、さくら。落ちてる。」
ん、と目一杯無愛想に差し出すと彼女は首を傾げた。
どうやら自分の物と判断する迄に幾らか時間を要するようだ。
「あ、私のか。ありがとう大野くん。」
ふにゃり、と氣の抜けたコーラみたいに笑う、緊張感の無い奴だとけんいちは思った。
そして彼女は再び前を向き、ノートも取らず窓の向こうを眺め出した。
けんいちは、そんなマイペースに生きている姿を見る度、亜熱帯に暮らす生物を思い出す。
もしくは温い海水を漂う海月(くらげ)、イソギンチャク、とにかくその類だ。
「さくら、自転してる星は何だ。」
そんな様子にようやく気がついた教師がそんな事を尋ねている。
勿論、前述の状態の彼女に答えられる筈もなく聞いてろよ、と間延びした声で注意勧告した(その声は眠気を誘う周波数で、元より原因はそこなのかもしれない)。
居眠りしてるからだ、と口にはせずけんいちは席に着いた。
そんな彼女、さくらももこはいつだってそんな様子だったのでけんいちには近頃よく視線を交える事が半ば信じ難かった。
近頃感じる違和感は、彼女から投げ掛けられる視線。
首を傾げずにはいられなかった。
けんいちがそれに気付いたのは三月、高校に入学してすぐの事だった。
さくらももこはいわゆる幼なじみという類の異性で、改めて意識をしたり自分を取り繕う相手でもない、元来幼なじみとはそういう事だと思っていた。
それがどういう訳か近頃はあちらの視線に気付けば逸らされ、会話を振れば暫く考えこまれた挙げ句ろくに返事も返って来ない。
それが思春期によくありがちな何かだとかけんいちには毛頭なく、再び視界に入った彼女が今度はよそ見している姿を捕える。
懲りないやつだと思いながら視線を手繰ればそこは窓の外、その向こうには嫌でも目立つ髪色を風に吹かれたまま、気だるそうに中庭を横断する学生。
腰履きしたスラックスを引き摺る後ろ姿が、新緑に溶けて行く。
ああ、とけんいちは息を吐いた。
彼らの学年でも、あれが誰かは愚問だった。
新入生歓迎会の日、ももこを呼び止めた姿が今も焼き付いている。
その時のももこの表情も、だ。
驚いた様に歪んだ眉根、あの時の彼女は間違いなく腹を立てていた。
二人が顔見知りであることより、あの海月のような氣の抜けたコーラのようなももこの、明確な怒りの方が意外だった。
今日この空間にある、唯一のけんいちの興味は視線とあの激しくも鮮やかな上級生なのだが、それさえこの時は面倒くさくて仕方がなかった。
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