4.星を射る。


突風が吹き抜けた向こうに何とも間の抜けた顔をした女、それがさくらももこだとけんいちが認識するまでにそう時間はかからなかった。


「間抜け。」

「え?」

思わずけんいちが呟いた言葉に、顔を顰めて存外大きな声で聞き返された物だから、思わず笑ってしまった。

「何してんの?」

「大野くんこそ。何でいるの?」

「何でって、仕事に決まってるだろ。」

スーツ姿を指してけんいちがいうと、そっかとやはり間の抜けた返事を寄越す。

「私も、仕事で。」

「さくらも、出張とかあるんだな。」

「ありますよ、年に何回かは。」

ももこの語尾はくぐもって聞き取れなかったがニュアンスで伝わった。

突如として訪れた再会の瞬間にお互い、ふわふわとした中身の無い会話を繰り返した。


今、目の前に彼女がいる。

息災すら知らせてくれない薄情な彼女。

あの日逃げた理由、連絡を返さない理由、次に会えたら言おうと決めていた言葉は山程あったのに、いざ顔を見てしまうとそのどれも浮かばず、けんいちはただ次の会話を探るので精一杯だった。


「大野くん、いつから大阪いるの?」

けんいちとももこの距離は3メートル、一向に近付く気配は無かったが先手を打ったのは彼女、けんいちはそれに昨日と返した。

意外と素っ気なく響いた自身の声にひやりとしたが、どうやら彼女は少しも気に留めていなかった様子で、けんいちはひっそりと息を吐いた。

「さくらはいつからいつまで?」

「今日から明日。」

車道から外れた科学館の広場で微妙な距離を保ったまま言葉を交わす2人は、何だか奇妙だったが互いに歩み寄る気配はない。

打ちっぱなしのコンクリートに跳ねた声が僅かに響くだけ、川下からの風はやはりももこの髪を揺らすだけ。

キリンの様な街灯に照らされて、彼女の足元に散らばった無数の影はそのどれも動く気配はないが、蒼白く浮き上がった頬に睫毛が落としたそれは瞬きの分だけ震える様に揺らめいている。


「ていうか、さあ。」

彼女が言う、やっぱり乱れた前髪を撫でながら。

「大野くん、元気だった?」

「何それ、お前が言うか、それ。」

「私は、元気だったよ。」

元気だけが取り柄、と足元のタイルに向かって吐き出され始めた声は、やけに響いてけんいちに届く。

ただ俯き加減のももこの表情だけが伺い知れない。

「俺も、元気。」

「そっか。なら、よかった。」

続かない下手な会話が転がって行く。

なあさくら、とけんいちの喉元まで出かけた時、ももこが口を開いた。

「私ね、大野くんに会いたかったんだ。」

けんいちの背中から吹いた風に彼女が顔を上げる、その時始めて彼女の目元が光を湛(たた)えていた事を知る。

「会いたかった、って。」

「ごめんね。」

言葉以上に熱を孕んだももこの眼差しに、けんいちは息が詰まりそうだった。

「何で謝んの?」

「何で、って。だって、大野くん。」

私、大野くん傷付けたでしょ?

彼女が述べる謝罪は果たしてどれを指しているのか、そうでなくてもとんでもない自惚れだ。

けんいちの胸中は半ば限界点が見えている。

「逃げちゃったし、連絡だって。全く返さなかった。」

「返せなかった、じゃないんだ。」

薄々気付いてはいたが、彼女のこういう一面に酷く落ち込むのだ。

例え気持ちの折り合いが着いていなかったにせよ、やはり自分からの連絡を意識的に無視されてたのかと思うと足元を見たくなる。


「私ね、本当に付き合うとか別れるとか、いい加減嫌になって。好きだった人を、たかしくんをねあんな風に傷付けて、そんなんならもう付き合ったりしたくないって。で、また次に恋人が出来たとして、また同じ様に繰り返すなら、ああいらないや、って。考え方が子供だよね。」

夜闇によく通るももこの声が堰(せき)を切った様に溢れだす。

「今でもね、夜になったら思い出すんだ。たかしくんが好きだったよく分かんない洋楽とか、2人でドライブした海岸とか。ひょっとしてこれが未練かなって思う位。」

後から後から零れてくる彼女の恋愛の記憶を、聞き流したくなるのをぐっと堪えてけんいちはももこを見つめた。

1つ1つ探りながら、選ぶように紡がれるももこの言葉に耳を傾けた。

「だけどね、それだけそんな風に思ってるのに。まだたかしくんをこれだけ思い出すのにね、大野くんに会いたいって思ってるんだよ。」

好きって言われて、死んでもいいって思ってしまったんだよ。


ああ、彼女の生娘の様な潔癖さがもどかしい。

それと同時に心底腹も立っている。

始めからこんなにはっきりと、情熱的な告白が待ち受けていると分かっていたのなら心の準備だって出来ただろうに。


「じゃあ、逃げるなよ。」

けんいちは一歩また一歩、ももことの距離を縮める。

「俺を傷つけた、なんて。自惚れんな。俺は誰にも傷なんかつけられてないし、誰からも逃げてない。ただ俺が、俺に正直になった時にやっぱりお前だったんだよ。どうしてとか何でなんて知るか。」

2人の間の3メートルの距離はいとも容易く近付いて、あっと言う間に手を伸ばせば触れられる位置に着いた。

始めからこうしてれば良かった、けんいちが呟いた。

そして、突然のけんいちの行動に半歩後退しようとするももこの腕を取ったのだ。

「逃げるなって。もう1度だけ言う、俺はさくらが好きだ。考えなしに言ってるわけじゃない、彼女との関係も時間も綺麗さっぱり割り切れてる訳じゃない。だけど、例えば誰かが泣いたとしても、傷付いたとしても一緒に居たいと思ったんだよ。さくらと居たいって、お前だってそうじゃないのか?」

人を好きになるって、そういうことじゃないのか?


熱かった。

けんいち自身の体の奥も、掴んだももこの腕も。

見れば、ももこの瞳に映るけんいちの姿がみるみる内に歪んで行く。


そしてけんいちは、鷲掴む様に彼女の体を掻き抱いていた。

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