嘘みたいな青空に、線を引く。
その日は、とてもよく晴れていた。
「綺麗な顔してる。」
そう呟いた母さんの横顔を、今でも鮮明に思い出せる。
青白いその鼻筋を静かにつたった涙は、喪服の上に納まった真珠のネックレスに転がり落ちた。
僕はその様を見つめながら、昔聞いたアンデルセン童話なんかを思い浮かべた。
僕の親族(僕の叔母、そのいとこ、祖父の兄弟)達は口々に「しっかり者で働き者だった」と言っていた。
真っ白な桐の棺を囲み、嗚咽と鼻を啜る音に僧侶の読経の声が混じる。
そして、その中で眠りについているのは、僕の祖母、母の母だ。
皆が口を揃える「しっかり者で働き者」である祖母、そんな彼女の娘に当たる僕の母さんという人はそのどちらにも当てはまらない。
父さんが言うには、「それが人生の。」なんだとか。
祖母という人は、とても僕に優しかった。
叔母家族はの地元の清水に暮らし、電車で3駅の所に住んでいて週末のたびに祖父母の元を訪れていたの反して、東京に暮らす僕を猫可愛がりした(いとこ達の中で唯一の男であることも恐らく要因) 。
そして、夕飯の買い物もデパートに行くのも、病院へ出かけるのもいつだって僕を連れて回ったのだ。
夏休みにはひと月近く祖父母の元で暮らしていたが、特に母さんを恋しがる素振りもなく甘やかされるだけ甘やかされて過ごした。
祖母の死んだ日、都内はとても激しい雨が降っていた。
部活帰りの僕はいつも通りの時間に校内を出て、その門前で幼なじみの杉山と鉢合わせた所で、辺り一面バケツをひっくり返した様な土砂降り。
前も後ろも白く煙る程の飛沫に僕らは肩先をぶつからせながら、傘を持っていないお互いに悪態(彼女は僕を罵ったりもした)を付いた。
どうしようもない程ずぶ濡れになっていたが、いつものコンビニの軒先に僕らは逃げ込んだのだ。
じっとりと水気を含んだ制服の不快感にやっぱり悪態を付きながら、ぶつかった視線、彼女のガラスみたいな瞳にもこのスコールが反射していた。
「大野。」
そう呼んだ彼女の顎をぽたり、と弧を描いて雨粒が滑った。
首の裏に電気が走った様に雨に打たれた体を熱が走った。
次の瞬間の瞬きの隙間で僕らの唇は重なったが、この閉塞的な雨の夜にそれを知る人は居なかった。
僕はそれを感電したのだと、今でも思っている。
そこうしてる内に小雨の隙に帰宅すると待ち受けていたのが祖母の訃報だった。
静岡の空は雲一つ無い快晴、高い煙突だけが天を仰いで伸びている。
しばらくすればその先から祖母は召されていく。
父さんの右手を握り締めた母さんは、年甲斐も無くわんわん泣いていた。
その隣でそんな母さんの様子に感化されたであろう、従姉妹達も負けじと声を上げて泣いてる。
父さんはそんな母さんの肩を抱きながら、泣くでも無くただ空を見つめていた。
そういえば、僕はいつだって抱きしめられている。
生まれてすぐに母さんに、歩きはじめた頃には祖母、そして不思議と今僕の背中では何故か杉山が泣いている。
彼女もまた、僕の祖母に目一杯可愛がられた一人だった。
卸したての制服に目一杯顔を押し当てて、声を殺している。
「汚すなよ。」
そう僕の声に更に力強く僕を抱きしめた。
「寂しいよ、大野。」
寂しい、その声はふとあの雨の日を蘇えらせる。
こんこんと煙が立ち上り始めた。
青い青い空に線を引く、いつか見た天の川の様に僕らを隔てる。
僕はその空が歪むの必死で堪えていたけど、回された腕に力が込められたのを合図にもろもろ崩れ落ちた。
何かを手に入れて、何かを失ったあの雨の日。
それは物悲しくも鮮やかに、僕の胸に焼き付いたのだ。
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