にじむ、飴色。

実はまだ、想っていたりする。

環状線から眺める高層ビルの向こう、夕立が迫る午後七時。
わずかに満員の車輌のガラス窓に映る顔は、やけにくたびれて見えた。
ダークグレイのスーツは早くも馴染んで、まるで目や鼻や口の様な見慣れた物になってしまった。
深く息をつけば溜め息だと、いつからそう言われる様になったのか。

一足早く大人になった従姉妹は飄々と仕事をこなしていたし、それを見て社会人はなんて自由で気楽なものなのかと思っていた。
しかし、それもいざ自分が同じ立場になれば彼女の気の持ち方がいかに稀有(けう)なものかを思い知る。
今思うと、彼女は昔から『そう』だったのかもしれない。
人より楽をしようとあの手この手を尽くした結果手に入れた楽観的な思考、子供の頃そんな彼女をとんでもない怠け者だと随分からかった。
また、そんな彼女と自分はまるで気のおけない同級生のように思い違えていたから、結婚の話が降って湧いたとき心底驚いた。
いや、うろたえた。

最寄の駅まであと三つに迫った所で、堪えきれない雨雲から打ち付けるような雨。
電光掲示板やネオン、スモッグで霞む境界線に赤褐色の靄(もや)がかかる。
この先下車し帰宅することがとてつもなく億劫になるほどに、街並みは飴色だった。

そういえば、彼に遭遇した時もこんな夕立の日だった。
仕事帰りの品川駅で偶然ばったりと、向こうから声をかけてきた。
その時、初めて知ったことなのだがどうやら仕事場の最寄が同じだったらしい。
彼に会うのはそれが三度目(初対面はまだ小学生の時)だったが、一度会えば忘れることはない、それは稀に見る男前だった。
あの日、声をかけられた時もネイビーのストライプスーツにブルー系のネクタイ、よく磨かれたビジネスシューズが眩しかった。
上背もある(一メートル七十八より僅かに視線が高い)、顔だってその辺の同性から見てもうっかり憧れてしまうんじゃないかと思う程、完璧な男が目の前にいた。
それがよう、なんて片手を挙げて「ひろあき君も会社この辺?」なんて尋ねられては頷くのが精一杯だった。
何より、同じく帰宅ラッシュのOL達の視線にヒリヒリした。
「びっくりした。けんいち君とここで会うなんて思って無かったから、今ちょっと挙動不審かも、俺。」
「何それ。」
そう笑う“けんいち君”は、彼女の恋人。
怠け者には勿体ないと、叔父さんや叔母さんは口々に言っていた。
「そうか、いつもこの時間の電車か。」と、その人は改めて確信したように頷いた。
よくよく聞けば、互いの最寄駅は三つも離れておらず、そのまま同じ電車に乗り込み、ガラス窓に映る顔が若くないとか、俺なんか最近ちょっと走り回ったら息切れが、なんてそんな他愛もない会話を交わした。

「そういえば。けんいち君、来年の夏に決まったんでしょ、式。」
「あ、そうそう。やっとね。毎週日曜日にウェディングフェア予約してさ、さくらたたき起こして。」
「まるこらしいっちゃあ、らしい。」
「式はしたいけど面倒臭いし、だったらいいや、ってやつ。」
「最悪。」
彼の苦労が手に取るようにわかり、ご苦労様ですと小さく呟くとけんいち君はいいえ、と溜め息混じりに笑った。
「そもそもさ、けんいち君みたいな男前が結婚してくれるってだけで奇跡なのに、その上それを面倒臭いって。本当神経太い女。」
「まったくね。振り回されて当然、みたいに思えて来たもんな。」
「けんいち君すっかりマゾ体質にされちゃって。」
「君もね。」
「やっぱり、けんいち君は気付いてた?」
「薄々ね。」
「んだよ、結局気付いてないのまるこだけじゃん。」
「言わなきゃ分かんねえんだよな、さくら。」
「鈍感なヤツ、本当嫌い。」
「でも、言わないでくれてありがとう。」
視界の隅にやけに男らしいけんいち君の手首、そこに巻き付くハイブランドが品良く映って眩しかった。

窓の外は雨、薄暗く白く煙る程街中に叩きつけるような、雨。
車内アナウンスが響き、けんいち君は次の駅で降りるからと右手の鞄を持ち直した。
「じゃあ、今度はゆっくり飲みにでも。」
「けんいち君、おめでとう。」
「おう、ありがとう。」
そして、その背中が開いた扉の向こうに吐き出されて、見えなくなるまで目で追いかけた。
あの言葉の意味を知ることもないまま、だけどその声が静かにループしていた。

けんいち君と再び顔を合わせたのは、ついこの前の週末だった。
その時はさほど会話が出来た訳ではないが、その従姉妹と彼が並んで歩く姿を一番末席の辺りから眺めた(いわゆる親族席ってやつだ)。
後から知った話だが、けんいち君の「言わないでくれてありがとう。」の意味を問えば、彼曰く「ひろあき君に言われたんじゃあ勝てる気がしない。」だ、そうだ。
何だそれ、なんて思いながら可笑しくて笑ってしまったのだが。
その様子を見た従姉妹は怪訝な顔をしたが、まるこには一生関係ない話、といえば一際不機嫌そうに睨んでいた。
全く、物騒な花嫁だ。

変わらない物もある、綺麗事でも縋りたかったし信じなければそこで全てが終わってしまう気がしていた。
だから素直になれなかったし、つい虚勢を張っていたんだと今なら分かる。
大人になって変わって行く自分の心と体を認めてやれば、こんなにも世界が柔らかい物だと気付ける様に。
例えば今日のこの夕立が嵐に変わっても、それが季節の移ろいだと、だからやけに胸を熱くさせるのだと。

この煙る街すらも良い思い出に変わる事を、ひっそりと祈ったのだ。

HUG HUG HUG

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