アイラブユー、がやっと聞けた。
「山田。」
先輩にそう呼び止められたのは、やっぱりいつもの廊下。
先輩の口から私の名前を聞いたのは、実にひと月ぶりだった。
春の配置替えにより私は先輩のチームを外れ、新設された女性誌の担当になった。
それ以来、同じフロアにいながら顔を合わせることも減り、気が付けば先輩と言葉を交わすことは全くなくなった。
2人で食事に行くことも徐々になくなり、連絡先を知っていても殊更メールなり電話なりをすることもなかった。
それが今、久しぶりに顔を見た先輩が私を呼び止めたのだ。
私が最後に見た先輩は、少し髪の毛が伸びていて、毎日ネイビーフレームのごつい眼鏡をかけていた。
そんな姿を見た女子社員が渋いですね、なんてはしゃぐ声を何度か耳にした。
そんな光景を目の当たりにしても私と先輩の距離は変わらず、どんどんその距離は広く深くなっていった。
「先輩、髪切ったんですね。」
私の突飛もない言葉に先輩は一度巡らせてから「ああ、相変わらずいい男だろ」と、笑った。
あ、この人相変わらず。
確かに伸びっぱなしのこの間までの先輩に比べたら、ほぼ短髪の髪の毛を薄くワックスで形付けている今の方が私好みだった。
「見惚れてんなよ。」
「先輩、短い方がいい。以外に童顔なんですね。」
少しむっとした表情も、何だか酷く懐かしく思えた。
「俺、あんたに言いたいことがあったんだ。」
「何ですか?」
「山田が“杉山くん”を忘れるまで待とう、て思ったけど無理。」
「何の話ですか?」
杉山くんをなぜ今、引き合いに出したのだろう。
杉山くんは結婚したのだ、私もよく知る彼女と。
それに最近の私は、杉山くんを思い出すことなんて殆んどなかった。
それをなぜ今、先輩が。
何かとてつもなく重大なことが起こっている予感がしているのに、話が全く見えてこない。
「山田、俺あんたが好き。」
私は、何も言えなかった。
ただ両手に抱えた資料やらファイルやらが、パタパタと零れ落ちて行く音のみを聞いた。
「よく、解りません。なぜ今?ここで?」
「ちゃんと言ってなかったなと思って。この年になってこんな話するなんてな。」
「先輩、私。」
ここは会社で、真っ昼間の会社で私は今からミーティングで、だけど先輩は私を好きだと言った。
「どうしよう、先輩。」
「なあ、返事は?」
「私、今とてもあなたを抱き締めたい。」
殆んど無意識で呟いていた。
「だめ、俺が抱き締めるから。」
そう聞こえた瞬間攫われて掻き抱かれた、ほんの5秒ほどの抱擁に私は泣きたくなった。
こんな恋々たる想いがまだ、26の私にあったなんて。
先輩、私はあなたとなら黄金に満ちた明日が浮かびます。
王様の様な、あなた。
私はもう1度、先輩の言葉を噛み締めていた。
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