それから、彼女は。
「山田、明日暇だろ?」
ああこの人、私を何だと思ってるんだろ。
スモーキングルームの一角、紫色のスモークはゆらゆら陽射しに溶けて行く。
企画資料を引継ぐために先輩を探していた先、当たり前みたいに一服して、当たり前みたいに私にそう尋ねてきた。
余裕顔で、自信気に、だから。
「暇?私、明日は忙しいんです。」
なんて強気に答えてみたりするのだが。
「へえ。何すんの?」
先輩には、そんな私の強気はミジンコほどにも伝わらない。
「朝起きます。で、顔洗って一週間溜まった洗濯を回します。朝ごはんには張り切って明太子を焼くんです。それから、お給料入ったんでブーツ買いに行くんです。それからマリメッコでかわいいクッションカバー見たり。」
鼻先をタバコの匂いが掠める。
次のそれから、は先輩に遮られて言えなかった。
だって、先輩。
「何?」
「や。…何?じゃなくて。何?!」
「変な顔。」
「ちょあの、今の。」
ん?キス。
余裕顔で、自信気に、先輩は笑う。
びっくりするぐらい無邪気に、目が覚めるくらい鮮やかに、いたずらっ子みたいだ。
これが元カノの結婚式にラルフの新品スーツにヴィトンのネクタイを締めた張本人なんだろか。
「びっくりした?」
「当たり前ですよ!心臓わし掴みですよ。」
「何それ、心臓わし摑みって。面白いなあ、山田かよこ。」
なんだと、呼び捨てでフルネームか。
たぶん大人な私達は、こんなときキスの理由なんて尋ねたりしない。
「何なんですか、今のは。」
私はやっぱり子供だ。
「聞くのかよ。わかんねえの、山田。」
私はエスパーじゃない、言われなくちゃわからないこともあるんだ。
「じゃあさ。」
先輩はタバコを揉み消すとコーヒーの入った紙コップを一気に傾けた。
「とりあえず、今日ご飯付き合ってよ。」
「なんでいつも、そんなに偉そうなんですか?」
だけど杉山くんの式に行けたのは、少なからずこの人のおかげ。
話してみようかな、前の彼のこと。
とっても好きだった、杉山くんのこと。
そのお嫁さんになった、たまちゃんのこと。
今度子供が産まれる、まるちゃんのこと。
今、思うこと全部。
話してみようかな、先輩に。
そんなことを考えながら、頬が熱く熱くなるのを感じた。
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