星がくるりと一回転して、きみを包んだ。
カーテンの隙間から朝日が零れている。
朝の喧騒の中に木枯らしが混じる。
「さくら、準備できたか?」
大野くんはネクタイを締め直しながら、私を覗き込んだ。
私はデイパックを鞄に詰めながら振り返り、もうちょっと、曖昧に笑った。
「おまえ、今頃準備か?変わんねえな。」
最近の大野くんは、“変わんねえな”が口癖のような気がする。
呆れたように、だけど嬉しそうに笑うんだ。
「もう少しだから。あ、新幹線のチケットは」
「俺が二人分持ってる。」
「さっすがだね。」
関心して頷く私に手止まってるぞ、と鬼軍曹の様な彼から鋭い指摘が飛ぶ。
「ベランダの鍵は?」
「締めた。」
「電気コードは?」
「抜いた。」
大野くんは部屋をぐるりと見渡してよし、と呟いた。
2DKの部屋はやけにがらんとして見えた。
「なあ。」
「なに?」
部屋の鍵を閉めながら、大野くんが言った。
マンションの踊り場に冷たい風が吹き抜けて、私は思わずコートの襟を立てた。
「この部屋を出て静岡に向かうまでの間、やっぱりやめたって思ったら。」
「大野くん?」
大野くんの髪が風に揺れる度に、私と同じシャンプーの匂いが鼻先を掠めた。
「いいよ、やめても。」
「やめるって?大野くん、何を言ってるの。」
大野くんの言葉の意を介して、思いのほか強い声色に大野くんは目を丸くした。
「そんなこと言わないでよ?」
ね?と、私が笑うと大野くんはどこか恥ずかしそうに俯いた。
そんな姿に胸の奥がきゅうとなって、私は思わず大野くんを抱きしめた。
大野くんの肌触りのいいコートは、私が選んだバーバリー。
自分よりも一回りほど背丈の違う彼の体は、思ったよりも温かかった。
「どうして、さくらなんだろう。」
頭上からは、大野くんの深い溜息が聞こえた。
「綺麗な人は幾らもいるのに。」
「こらこら。さらっと失礼だね、この人は。」
私は顔を上げると口を尖らせた。
「さくらじゃないんだ。どうしたって、俺はおまえがいい。」
大野くん今、本当に情けない顔だよ。
天下の大野けんいちが、杉山くんが見たら笑われちゃうよ?
「行こう、新幹線の時間になるよ。」
「うん。」
冬枯れの街路樹がさんざめく。
人の縁って不思議だ、つくづく思う。
愛だの恋だのわからない私と、女心をまったく知らない大野くんが同じ時間を過ごすようになって、かけがえのない存在になった。
「手、繋ごう。」
もう何度こうして大野くんの左手は、私に繋がれただろう。
晴れた冬の日、肩を並べて歩く東京タワーのすぐ側。
私は薄い陽射しに左手を翳(かざ)した。
薬指のプラチナは煌めき、それが何だか擽ったくて私は笑う。
「これからもよろしくね。」
「こちらこそ。」
そうして明日、私は花嫁になる。
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