閃きの訪れた青年の黒目がちな眼差しが、くるくるとこちらを見つめている。
そんな様にようやくけんいちは、彼が自身の同級生で彼女の恋人のたかしであることに行きたどり着いた。
犬好きで小柄なたかし。
当時喧嘩早かったけんいちとは、全く対照的だった。
けんいちは男なら何事も勝気に挑むべきだと思っていたし、ましていじめっこやいじめられっこなんて言語道断だと正義感に溢れた子供時代を送った。
そんなけんいちとたかしがあの頃格別仲が良かった訳でもなく、大人になってからの同級生での飲み会でも何故か同じ席を囲む機会に恵まれなかった。
そういった要因で今、けんいちは成長した互いを目にすることになったのだ。
たかしの未だ通話になっている携帯からは微かに「もしもし?」と、ももこの声が漏れている。
実にひと月ぶりに耳にするももこの声に、けんいちは思わず左手に握られた彼の携帯を見つめた。
大きな掌の中にすっぽり納まったそれを眺めながら、右肩には妙に力が入る。
「大野くん、ちょっと待ってて。」
左手の親指で通話口を押さえながら、たかしは実に穏やかに微笑んでみせた。
目尻が下がり黒目がちの瞳がさらに深みを増し、それは蕾が芽吹くように春風が頬を撫でるような柔らかさで、けんいちは思わず息を飲んだ。
彼女が彼の何に惹かれたなど愚問もいいところだった。
チャコールグレーのキルティングジャケットが僅かに肩を向け、電話口に声を掛けている。
たかしのすぐ耳元には電波にのったももこの声があり、そしてそれを辿るとその向こうには彼女がいる。
けんいちの胸の端に焼け焦げた穴を落とした彼女がいるのだ。
それから一通り「うん、じゃあまた連絡する。」と、電話を締括るとたかしはけんいちに向き直り「本当に久しぶりだね、大野くん。」と、心底懐かしそうな声を上げたから、けんいちは何だか泣きたい様な気持ちになった。
「さくらから聞いたよ。仕事で一緒になったんだってね。」
同級生と仕事する日がくるなんて夢みたいって笑ってた、とも付け加えた。
ももこがそう言っていた様がありありと目に浮かぶ。
彼女はきっとけんいちと仕事先で出くわした偶然を、それはそれは喜んだに違いない。
「大野くんは大学から東京なんだっけ?」
「ああ、うん。高校卒業してからだからもう、8年ぐらいかな。」
8年かあと感嘆の声を漏らすたかしに改めてけんいちは、自分が重ねて来た月日を思った。
「たかしはいつからあっちに?」
「元は神奈川で進学して、そのままそこで3年くらい働いてたんだ。」
あ、専門学校なんだけどね、と彼は再びライターを手にした。
気が付けば再会したアクリル板の箱の中で、2人は再び煙草に手を伸ばしている。
先に火を点けたのはたかし、天を仰ぐと吐き出された紫煙が換気口へと吸い込まれた。
ただゆらゆらとくゆらされる煙を眺めて、けんいちは自身がもっと気さくに会話が出来る人間だったらと、つくづくがっかりした。
きっとこんな時、杉山ならば今仕事は?休みの日は?また飲みに行こうなんて、根掘り葉掘り1から10まで、それはそれは饒舌にこの場を成り立たせていただろう。
たかしは相変わらず柔らかな口調はそのまま、ただあの黒目がちな瞳の奥に見えた緊張にけんいちは思わず煙草の火を揉み消した。
大きくひとつ煙を吐き出し、僅かにたかしは手元を見つめながら「さくらが、」と、切り出された彼の横顔は何だか気だるそうにも見える。
「さくらが、本当に嬉しそうだったんだ。」
え、と唐突過ぎる問いかけにその言葉の意味を上手く捕える事が出来なかった。
向こうの景色は相変わらず千切れて流れ、時折住居の形や鉄柱の輪郭を覗かせる。
東京駅を出てから変わらず鼠色の空だけが辺りに広がっていた。
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