1.薄情者のラブレター。


ももこの様相にけんいちが疑問を抱いたのは、思えばあの夜以降だったように思う。


あの晩ちらちらと積もり始めた雪の中、ももこを自宅近くまで送り届けた後、 今日は本当にどうもありがとう、 と、メールを受信したきり数ヶ月前の彼の暮らしの様にももこの存在はぱったりと息を潜めた。


けんいちの会社との仕事もやがて終わりを迎え、ももこがそこを訪れることも無くなり、そして忙しなく巡る日々にやはり彼女の姿は霞み朧気になりあれは夢だったのではないか、という錯覚を再びけんいちにもたらした。

「年末は静岡に帰るの?」

8畳の自室で彼女にそう問われたけんいちは、ああもうそんな時期なのだとそこで改めて実感した。

「うん、同窓会もあるし。」

杉山から同窓会の詳細メールが来たのが6日前、予告通り年明け3日が設定されていた。

一斉送信のアドレスの一覧にももこの物と思われるアドレスを見つけ、なぜ杉山が知っているのか僅かに疑問を抱いたがそれも直ぐに解決し(なぜなら彼の恋人は彼女の親友)、そんな仕様もない自問自答ですっかり幻と化したももこの事を思い出したりした。

「そっかあ。今年は年越し、一緒に出来ないね。」

キッチンに立つ彼女はパプリカを炒めながら、少しだけトーンを落とし呟いた。

土曜20時のバラエティーを片耳でやり過ごしてけんいちは彼女に視線を移すと、フライパンを器用に振りながら黙々と調理に臨んでいる様にも、実は拗ねている様にも見えた。

この場合、通常なら後者のことが多い。

「ごめん。」

「謝らないでよ。」

さほど気にも留めていないといった体(てい)で彼女が笑った。

「お土産、忘れないでね。」

鼻歌混じりにそう告げた。

「わかった。」

そう頷くとふいに上機嫌な、だけど僅かにテンポのずれた誰かの鼻歌が耳元を掠めた。

「ご飯にしよう。」

そう彼女がプレートを2枚、テーブルへと並べた。

今晩はカレー風味の野菜炒めで、パプリカに豚肉、玉葱にブロッコリーがごろごろ詰まっている。

どうやら最近入手したレシピのようで旨そう、と覗き込むけんいちに自信はないのと笑った。


その晩も窓ガラスを曇らせる程しんと冷え、シェル材のルームランプが寒さに肩を丸める彼女の睫毛を縁取っていた。

かなりの時間をそうやって過ごして来たように、彼の左側で彼女は休む。

それはとても自然な形でその日起こった事を互いに報告したり、時には体を繋げたりしながら1つの違和感すら覚えずに朝を迎えていた。

深い寝息を吐く彼女の隣ですっかり目の冴えたけんいちは、夕焼け色の天井を見上げ得体の知れない何かをずっと思い起こしていた。

延々と巡るのはあの雪の晩、北風に舞い上がった箒星の様な紅茶色の髪。

寒さに染まった頬が段々色を無くしていく様に、それから笑みの消えた黒目がちな瞳だった。

そうだ、今思えばあの晩のももこはやはりいつもと違っていた。

何を持ってあのぎこちなさだったのか、その要因まではまだ辿り着けてはいないものの彼女が彼の何かによってそうなってしまったことは明解だった。

そこまでを終えた瞬間、けんいちは息が詰まりそうになった。

ふと気が付くと、あの日を繰り返し思い出している。

それもこの数ヶ月の間で古いももこの記憶は全て塗り替えられ、いつだって思い出されるのは歯切れの良い明朗な彼女と交わした気安い言葉や仕草。

唯一変わらないのは、鮮やかに放たれたその存在感。

全ては無意識の事で余計にけんいちは頭を抱えてしまった。

ふと、肩先に寄せられた寝息を感じながら、胃の裏が冷たくなった。


都内でいつもより早い初雪の観測がされたあの日、けんいちの前からももこが姿を消した夜から気が付けば、もうひと月が過ぎていた。


東京駅の八重洲口で見送りの彼女と別れて新幹線のホームを目指した。

19時過ぎのひかり指定の切符を取り出して号車とホームを確認し、ラベンハムのジャケットにそれを押し込んだ。

新幹線に乗ってしまえば東京・静岡間なんて1時間程の距離なのに、けんいちが地元に足を運ぶのは年に1度がいいところだった。

「着いたら電話ちょうだい、必ず電話ちょうだい。」

そう念を押す彼女にけんいちは、必ずと約束をした。

周りを見渡せば似通った旅行者や、帰省する人並みで溢れ返っている。

それを肩でやり過ごして、足元に8号車と印された場所で入線時間を待った。

背中越しで、さらに東へ向かう新幹線が出発して行く。

刺すような風が渦を巻き、ジャケットの裾からけんいちの前髪までを撫でた。

吹き付けてくる灰色の北風に、指先も鼻先もすっかり感覚を無くしていた。

そんな冷えた鼓膜の奥「大野くん鼻真っ赤。」、とそんな誰かの声がした。

入線を知らせるアナウンスがけたたましくホームを駆け抜けると、あっという間に滑り込んで来た新幹線はけんいちを乗せると始発駅のそこを後にした。


真冬の景色とは打って変わって、空調の効いた車内はむせ返る程だった。

けんいちの体感温度は既に極寒だったが、効きすぎた暖房はちっとも心地よくなどなく、自分の座席に貴重品以外の荷物を座らせると(とは言え携帯なり財布なりはデニムのポケットの中)逃げる様にデッキへ飛び出した。

そして、座席を探す品川からの乗客やトイレ前で順番を待つ人達をやり過ごし、喫煙ブースでようやく一息つけたのだった。

ブースはアクリル板のような物でしっかりと囲われ、換気の行き届いた箱の中は決して白く濁る様な事はなかった。

中では中年のサラリーマン(社章は大手医療機器メーカー)と、けんいちと年頃の近いひょろりとした青年が一服していたが、けんいちと入れ違いでそのサラリーマンはそこを出ていった。

そんなサラリーマンの背中をすれ違いざま横目に捕え、2畳分程のブースの中でけんいちは愛用しているマルメンをくわえライターを擦った。

行きしなコンビニで買った蛍光色の緑のライターはオイルを焦がし、煙草の先を確かに炙りそして煙をゆっくりと確実にくゆらせた。

深く肺まで吸い込み息を吐くと紫煙はふわりと揺れて、中央の空気清浄機がそれらを全て残らず呑み込んでいく。

冬晴れの窓の向こうで穏やかな田園や鉄塔なんかがみるみる千切れて過ぎ、それを少し目を細めてぼんやりと眺めていた。

遠くの山に厚い雲が掛かっている、 何となく雪の様な匂いがした。

そうこうしている間に煙草は1本、あっという間に燃え尽きてけんいちは指先でちりちりと灰になったそれを揉み消すとブースを後にしようとした。

その時鳴ったのはそこに居合わせた、同じ年頃の青年の携帯。

内臓の電子音に慌てる素振りもなく取り出すと「はい。」、と通話ボタンを押していた。

特にその仕草に意識もせず、煙草をしまって席へ戻ろうとけんいちが踵を返した瞬間と、その青年が電話の向こうへ「さくらはもう実家着いたの?」と問い掛けたのは同時だった。


その時のけんいちときたら。

その一言に考えられないような、何とかの犬さながらの反応だった。

そんな様子に青年もふと気が付きけんいちへと視線を寄越した。

そしてあちらの視線とこちらの視線、それらがかち合った時始めてけんいちはその青年の顔をはっきりと見たのだった。

まじまじとんいちを見つめ返す丸い黒目がちな瞳や、その表情が顔立ちがどことなく見覚えがあったり、はたまたあちらもけんいちに覚えがあるのだろう。

一寸も目を反らす事無くこちらを見つめ返している。


そして漸く閃きが訪れた青年が「大野くん?」と、半信半疑に問い掛けた。

その瞳の向こうには既に確信に近い懐かしさすら、見え隠れしていたのだ。

HUG HUG HUG

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