やがて芽吹く季節を、健やかに伸びる萌葱色の時間を、過ごすみたいに。
その瞬間を、待ち侘びている。
寒さをグッと押しやって、布団の先にあるスマートフォンに手を伸ばす。
まだ陽の明け切らない、午前6時。
窓の外は清掃車の往来と、日課であろう早朝の散歩を楽しむ飼い犬の声だけで随分と賑やかに思えた。
少しだけ靄(もや)がかかった頭で、耳だけがはっきりと朝を捉えていた。
しんとした薄闇のなか、つい先ほどまでの夢を思い出そうと幾らか巡らせてみたものの、僅かも浮かばない。
たまらない安心感と愛しさに包まれた、黄金色の夢だったはずなのに。
さくらももこの冬の朝は、そんな風にいつだって曖昧にぼやけている。
昨夜、眠りにつく前に彼が言い放った『早く寝ろよ、馬鹿。』は随分と愛想がなかったが、その中に盛大な照れ隠しを秘めていることを、ももこは知っていた。
確かに、平日夜の就寝前に空氣のような会話や、中身のない言葉遊びは時に煩わしく思われることだと承知している。
その上で、ももこはいつだって彼に沢山の言葉を投げかける。
その日の出来事を、というよりその日感じた些細な感情をぽつりぽつりと吐き出すこともあるし、明日食べたいもの(大抵はカレーが食べたいとひねりのないこと)、明日は寒いのか暑いのか。
そんな取り止めのない、空氣のような言葉たちを彼はやっぱり当たり前に聞いている。
正確には聞いていないのかもしれない、五回に一回は生返事だ。
だけど、ももこはそれだけで充分だった。
限りある時間のなかで、共にいられることがどうしようもなく不思議で可笑しくもあり、嬉しかった。
そして、ももこは五日に一回、「大野くん、愛してるよ。」と彼に聞こえないくらいの声でつぶやくのだ。
その声が時折、彼の耳に届くと昨夜の微睡の中の言葉で返ってくるのだ。
少しぶっきらぼうで、僅かに嬉しそうな、熱のある言葉で。
その記憶に、どうしたってももこの頬は緩む。
ももこの起床時刻を知らせるアラームが鳴るにはまだ早く、隣で寝息をたてている彼が目を覚ますまであと僅か。
暦の上では春。
まだ明け切らない季節を、過ぎた時間を漂った、そんな他愛もない会話を思い出して小さく笑いを噛み殺している、そんな朝だった。
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