「やっぱ地元が一番だな。」
生ビールの中ジョッキを空にして、そう深く溜息を吐いたのは杉山。
地元に帰って早々のけんいちに電話して来た彼は、早速飲みに行こうと誘い出し早ければまだ日も暮れない頃から(この時期5時でも辺りは暗くなる)駅前の居酒屋へ繰り出した。
「杉山って本当、よく飲むよな。」
大手チェーンの居酒屋の一角、既に2杯目を平らげた杉山をけんいちは呆れた様に眺めていた。
「社会に出て鍛えられたの。」
「物は言いようだな、穂波に怒られねえの?」
「うん、時々ちょっと機嫌が悪いとちくっとな。」
それでも機嫌が悪い時くらいしか言わないところが、なんともたまえらしかった。
「さくらも、大概なんだよな。」
けんいちがしみじみそう呟いたのに驚いたのは杉山、え?と手を止め彼をまじまじと見つめた。
「いつ、さくらと飲みに行ったんだよ?」
思わず口から出た言葉を瞬時にけんいちは余計だったと後悔したが、遅かった。
「もうふた月位前。さくら、ほら、うちの会社との仕事があったって話したろ。あれ位の時期に。」
ふうん、と妙に納得といった体(てい)の杉山に今度はけんいちが、何?と問い掛ける。
「なあ大野、お前。それからさくらには会ってないだろ。」
「それからって。」
「そのふた月近く前に飲みに行って以来、さくらには会ってないだろ?」
確かに、あの指先の切れそうな晩以来ももこには一度も会っていない。
彼女から連絡が来ることも無かったし、けんいち自身から連絡を取る様な事もしなかった。
何故だかそれをしてはいけない様な、そんな気すらしていた。
電話はおろか、彼女の名前すら仲間内からは聞かなかった。
「会ってないよ。連絡をちょくちょく取り合う訳でもないし、かといって用も無いのに飯なんて行かない。」
そりゃあな、と新しいグラスを掴みながら杉山。
どことなく何となく1つ1つ整理する様に、そして彼には珍しく言葉を選びながら口を開いた。
「これは穂波の話で、信憑性はあるけど詳しくは知らない。さくら、たかしと1回ダメになったって。」
しかも丁度ひと月前に、杉山の声のトーンは相変わらず呆気裸(あっけら)としていたが、その声は努めて単調だった。
「どういう意味?」
「だから言っただろ、本当だけど詳しくは知らないて。」
「1回って、別れたけどまた戻ったって事?」
「らしいな。だから今はまた付き合ってるけど、って話。」
「何で。」
「知らないって。穂波さえ詳しくは知らないのに、俺が知ってる訳ない。」
「そうだよな。」
昨日の新幹線を思い出した。
あの狭い喫煙ブースで再会したたかし、懐かしい久しぶりと笑っていた。
彼女の恋人のたかし。
あの前に1度別れ話になっていたなんて、勿論微塵も見受けられなかった。
寧ろ、あの電話越しに会話を交わす雰囲気には濃密な空気すら孕んでいた。
「でさ、大野。こっからはお前の事だけど。さくらの事が好きだろう?」
というかもうずっとさくらが好きだろう?、そう言った杉山の声は驚くほどの確信に満ちている。
おまけにとても穏やかで、落ち着きを払っていた。
「急だな。」
何の話だよ、と真っ先にはぐらかしたのはけんいち。
「別に急じゃねえよ。お前が3年くらい付き合ってる年下ちゃん、今もまだ付き合ってるんだろ?」
「そうだけど。」
「いずれその子だって感付くぜ。だって大野、本当に判りやすいから。お前結構さ白か黒か1か100か!ってタイプじゃん。」
「ちょっと、言ってる意味がわかんねえや。」
「うるせえ、まあちょっと聞けよ。おまえは自分が思ってる以上にずっと分かり易い奴なんだよ。見るからに好きなんだなあとかさ。なのに、さくらの事だけずっと何年経ってもうやむやにする、誤魔化す、俺考えたんだよ。大野ってさくらの話だけはやっぱりからかっても受け流せてないなって。大人になっても彼女が出来ても、さくらを初めて意識した頃と全くリアクション変わってねえんだよ。」
気持ちに折り合い付けるどころか、何一つ消化し切れてないんだよ。
違う、と喉の奥でつかえた言葉を呑み込んだ。
ムキになることがどういう意味を指すのか、そんな彼の性格を知った上で杉山が持ちかけた話題ということも、けんいちはもうとっくに理解していた。
「俺はさくらの気持ちは知らない。ただ、大野。お前自身の中でまだ折り合いが付かないから、いつまでもそんななんだよ。」
年下ちゃんに失礼だ、と最後は今にも消え入りそうな程に微(かす)かな声。
「杉山の言う事全てが自分の本音かというと、正直分からない。」
「大野鈍感だからな。」
「だけど、確かにあの日さくらと再会してからおかしいんだ。仕事中とかさ、ふ、と。ほんの一瞬あいつを思い出すんだ。昔のさくらとの会話とか日に日に思い出したり、ひょっとして今日打合せなんじゃないかとか。」
会えるんじゃないかって、期待してる。
けんいちに言葉を選ぶ余地はなく、思い当たることを1つ1つ口にするのがやっとのことだった。
「大野、それなんていうか教えてやるよ。」
目の前の男は心底呆れた様に、息を吐いた後、口の端を僅かに上げ、だけどどこか嬉しそうにせいせいしたように笑った。
「恋、っていうんだぜ。」
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